陰として豪雨

理系浪人生の日記→理系東大生の日記

拾弐話 もやもや

映像授業の受講借金を返済している最中です。

勉強一般において、映像でも対面でも予習→受講→復習という流れが一つのセットだと思うのですが、この復習というものの確保が難しいなと感じています。予備校の場合、予習というのはたいてい与えられた問題を解き、疑問点等現時点での学力の欠損を明らかにしておくことで完了するものです。そして受講では、疑問点の解消をしていくとともに、講師が与える新情報、新技術を理解することが求められます。これらは予習、受講という単純なタスクとして片づけていくことができるので、目の前に与えられたものにとりあえず取り組めば良いという点で、進めやすいものだと思います。一方、復習においては、補充問題等の課題も与えられはするものの、一度解いた問題や一度解説を受けた理論を、今度は自分のものにするということに焦点があたるわけです。つまり、復習によってはじめて学習内容が自分の血肉となるとも言えるのですが、それではどこまでやれば自分のものにすることができたと言えるのでしょうか。解いた問題、受けた授業をすべてまるまる暗記するのは現実的ではない以上、細かい知識の一部は抜けてしまうことは前提として、大枠骨組みだけはしっかり抑えなければならないわけですが、どこが骨組みなのか、そして骨組みをきちんと理解できているのか、ということを見極めるだけでも非常に困難なことに思われます。具体的に例示してみます。確率の問題のなかで、漸化式を用いるものはたくさんありますが、特に再帰的構造か遷移的構造をもっている試行の場合は、はじめかおわりで場合分け(再帰的)かnとn+1の状態で比較(遷移的)によって漸化式を立てるのが良いとされています。問題を見ただけで再帰的あるいは遷移的構造を見抜くこと自体には訓練が必要であり、また真の意味でそれらの構造の意味を理解していなければお話にならないわけですから、ある程度の問題演習が必要になってきます。しかし、予備校が与える確率漸化式の問題は予習で一度解いてしまっているので、その問題演習に使える問題は自分で探してこないといけません。したがって、どんな確率の問題を解けば良いのか、そしてどのくらいの確立の問題を解ければこの構造を理解したことになるのか、ということは自己判断していかなければならないということになります。特にコロナ禍に見舞われている現状では、講師に質問してみたり周りと話し合ってみたりすることも難しく、どれだけ理解できているのかのチェックがおろそかになってしまうのではないかと思っています。