陰として豪雨

理系浪人生の日記→理系東大生の日記

肆拾壱話 盛者必衰の理

僕はクリスチャンではないのですが、最近キリスト教の教義についてWikipediaで読みました。ご存知の通り、キリスト教の教派は大枠としてもかなりの数があり、もっとも伝統的とされるローマカトリック東方教会をはじめ、新興のいわゆる(伝統的教派の視点で)異端とされる教派までバラエティも豊かです。教会礼拝等に行ったことがないばかりか、教会に足を踏み入れたのが結婚式のときくらいしかない完全な門外漢なので、キリスト教の仕組みにケチをつけるのもおこがましいとは思うのですが、それでも言いたいのは、キリスト教の入信ハードルが高すぎるのではということです。

前提として入信を検討して調べていたわけではないとは断っておきます。しかし、もし自分が入信を検討している人だったと仮定して、そのひとの気持ちで考えてみると、キリスト教の世界観はややこしくてめんどくさいという印象を受けると思います。そもそも、教派による教義の違いなど、キリスト教関係者にしかわかるわけもなく、そして非キリスト者にとってその違いはまったく関心の対象外でしょう。しかし一度入信すれば、一応その教義がもっとも正しいという教えのもとで信仰することになり、まさかカトリックのような、権威が歴史的にも組織的にも重層化されている教会において、新参者が新解釈を提示することなどできません。そこで新解釈を提示した者らが歴史的には様々な分派、たとえば、ルター派カルヴァン派聖公会等々を形成してきたということではありますが、それは教会「ガチ勢」のなすことであって、おおかた聖書の内容もよくわからない(これは内部の人しかわからないので憶測にすぎませんが理解するには難解すぎると思います)一般信者には何の縁もないことだろうと考えられます。そうすると大多数の信者にとっては、神の存在は聖職者によって語られている何か超越的なものにすぎず、それはなんだか主体的でない信仰に思えます。むしろ主体的な信仰は、それが信者個人にほとんどの場合にあると思いますが、「正統的」な理解からはかけ離れた個人の世界観からの理解にとどまり、したがって個人の内面に存在しているそれぞれの神への信仰になっているのではないかと感じます。それで一般信者は何も不都合がないわけですが、そうすると各教派の党派性はどこへ行くのでしょう。教会幹部は「正しい」理解を「誤った」理解と区別しているわけですが、実際にその信者が十分な理解をしていないという状況について彼らはどのような見解をもっているのでしょうか。

非信者であるので、神の存在や教義の是非については何も語りえぬ立場でありますが、その教えの理解がどれほど求められるのか気になるところではあります。信者のなかにはきっと聖書の内容に疑問をもつ人もいるはずです。でもその疑問が教会においては許されるのでしょうか。現代的な感覚からすれば不条理じゃないですかと思うようなことも多々あるのにその葛藤はどのように乗り越えられていくのでしょうか。たとえば、エデンでイヴとアダムが禁断の果実を口にしたことで人間が原罪を負うようになったという話は有名ですよね。(間違ってたらすみません)いつもその話を見るたびに思うのですが、禁断の果実だけを食べさせたくなかったのならはじめからエデンからそれを駆除しておけば良かったのではないのでしょうか。あるいはそうでなくても、なぜ神は人間を試すようなことしたのでしょうか。そこがいまいち釈然としないんですよね。逆に神を試すなってことでしょうか。

そして考えているうちに痛感したのですが、僕らは知らず知らずのうちに東洋的な世界観に強く支配されているんですね。なんでもかんでも相対化してしまうところとか、平等の捉え方とか中国思想や仏教思想の影響が色濃いなあと感じます。万物斉同諸行無常の世界に生きていると西洋宗教はより難解に映ります。世界の宗教問題は一向に解決の気配が見えませんが、宗教への無関心によって宗教の多様性が保たれているともいえるこの国に住む者からすると、宗教対立ってなんで起こるのかよくわかりませんね。

 

全然話題が転換するのですが、アメリカ大統領選が激熱でしたね。票の再集計や郵便投票の有効性という問題は残っているにせよ、やはりアメリカこそが民主主義の先端なんだなと思いました。政治対立がここまでキレイに実現するなんて日本では考えられませんよね。煽りあいや感情的衝突が多分に含まれた選挙戦でしたが、それが現時点での民主主義の帰結ということでしょう。国中があんなに赤と青に染まるなんてうらやましいようなおそろしいような。リーダーを国民が直接選ぶということが重要なんでしょうね。アメリカのありかた、イメージというものをどうしたいかという各々のビジョンがあって、それが衝突するからこそあそこまで加熱することができる。日本は実質的に一党独裁状態で、しかも首相が議員の中から選ばれるので、政府へのリーチが長すぎます。その上、人種問題や環境問題等の象徴的な政治テーマに盛り上がりがなく、明らかにグレー(というかほぼ黒)な政府のクソしょうもない失態を野党が批判するも、国民のバックアップもなく一過性のもので終わるという構図の繰り返しです。実際その利点は大きくて、政情がきわめて安定しているというところはありますが、批判する声の弱さが気になります。政界外からの批判で影響力をもちうるものとすれば、もっぱらテレビや新聞等のマスメディアですが、お昼のワイドショーとか見ているとなんか不安です。ステレオタイプな人ばかりで多様性に欠ける感じがします。いつか変わるのでしょうか日本の政界も。