陰として豪雨

理系浪人生の日記→理系東大生の日記

陸拾漆話 感情のモンタージュ

僕は、近いうちに結婚する予定はないし、そのタネと言えるようなものもあいにく持ち合わせていないのですが、されども、妄想することはあります。

まず、結婚するに至るような関係の相手に対し、いつその心づもりを仄めかすのかということ。世のカップルが、みなその関係性を家庭を持つまで続けようと計画しているわけではないでしょう。あるいは、男の方はそのつもりでも、女はそうは思っていないだとか、その逆だとかっていうことも往々にあるでしょう。当然と言えば当然ですが、日本式に交際していると自他ともに認める間柄であっても、婚約が受理されるかはわからないということです。愛の告白をして、交際の申し出が拒否されること、これ自体もなかなか心に堪えるものですが、既に交際関係にある人間に婚約を拒否されることによって被るダメージは、格別だと思いませんか。無論、そのような経験を持ち合わせてはいないので、実際のところどのような心境なのかは推察することしかできませんが、前者を、畑に蒔いた種が発芽しなかったと喩えるならば、後者は、順調に育った作物が収穫前に機を逸し、地面に落ちてしまったかのようなものです。作物を得るには、また種まきからはじめなければならないということになります。

フィクションの世界でのプロポーズしか目にしたことのない身としては、プロポーズはある種の形式的儀礼に過ぎず、拒否されるということは想定されてないようなものに思われます。それは、やったもん勝ちということなのか、もしくは、阿吽の呼吸と呼ぶべき絶妙のタイミングがあるのか、そこのところが気になるわけです。身の回りでかろうじて観測されるようなカップルにおいて、プロポーズがいずれかより申し出されたとしたら、当然顰蹙を買うような気がしますが、案外、誰も実行しないだけで、やってみたら成功するのかもしれません。そもそも、大学生が交際をはじめたばかりで、結婚まで視野に入れているというのは不自然な気もしますが。

では、婚約に限らず良い時機を得て、愛の告白(あるいはプロポーズ)をするという段階に至ったと仮定しましょう。ここで次の問題として出てくるのが、どのようにそれを表現実行するかということです。「好きです。付き合ってください。」「結婚してください。」このストレートでなんの装飾もない文言のほかに、そもそも気の利いた文言が思い当たらないので、ここはフィクションを参考にさせてもらいます。

エド「等価交換だ 俺の人生半分やるから お前の人生半分くれ!」
上杉達也上杉達也浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも。」
伊佐木要「僕、ちさきのことが好きなんだよね、かなり前から。」
有馬総一郎「覚えててね、僕は宮沢さんを好きだから。」

まず、エドの有名な告白は現実でやったらドン引きですよね。よね?え?
その他のはギリありそうな気はするんですが、自分がそれを口に出して読んでみると、なんとも言えない羞恥に襲われます。要くんのとかは「なんだよね」という口調がシリアス感を薄めているがゆえに、なんというか生々しくて恥ずかしいです。自分ならニヤニヤを抑えきれない自信があります。なんというか、こういうのを茶化したくなるというか、そもそも芝居がかってて気持ち悪いと思ってしまうのは、僕がまだ幼すぎるということなのでしょうか。こういうものは、やはり感情のあふれでるものに、自発的に口をつくものなのかもしれないですね。でも、「世界中の誰よりも」なんて言い切るには僕は卑屈すぎます。

対面ではなく書面ならば、こういう恥ずかしいセリフもどうにか伝えられるかもしれないな、とは思います。しかし、この時代にわざわざ手紙をしたためること自体の仰々しさ、そしてLINEでそれを伝える薄っぺらさは、なんとなく受け入れ難いのです。実際、内容の如何に関わらず、投函しなかった手紙というものを何枚か書いてきました。流石に愛の告白ではないですよ。手紙というか、書面というものは、それ自体がなんか演技くさいように思ってしまいます。それで、色々わかりにくい感情表現とかを伏線を張るが如くしたりしたこともあるんですが、まあ伝わった試しがないです。僕しか解読表を持ってない暗号みたいなもんですからね。