陰として豪雨

理系浪人生の日記→理系東大生の日記

肆拾参話 人の振り見て我が振り直せ

コロナ感染が自粛期間並みの水準まで回復してますね。世の中の人出は上半期と比べてあきらかに多いように見受けられるので、感染拡大はしばらくとまらないかもしれません。もう河合塾の完成シリーズも終わりなので首都封鎖されても一向にかまわないし、むしろ県境をまたぐ移動は自粛してほしいという気持ちでいます。とりあえず入試が終わるまではどうにか持ちこたえてほしいです。

2020年も残り一ヶ月となりましたが、コロナ禍は結局まだまだ長引きそうな感じがします。今年の3月頃は数か月以内か年内収束というような楽観的予測もありましたが、少なくともまだあと一年くらいは今と同じような警戒態勢の下での生活が続くのではないでしょうか。

僕なんかはコロナ禍の影響をほとんど受けていない部類に入ると思いますが、世の中には職を失った人や採用中止で職を得られない人もいると聞きます。また、身の回りでもコロナの影響でつぶれてしまったであろう飲食店等はいくつか思い当たります。少なくとも、コロナ禍で良い思いをしている人よりは困難に直面している人の方が多いことはたしかです。そういう人のことを考えると胸が痛くなりますが、そうはいっても感染拡大を抑制するために、特定の業界に致命的な犠牲をはらってもらうことは不可避なように思えます。そういった業界をどのように救済していくかを僕たちは考えるべきなのかもしれません。ただ、みんながみんな大なり小なりの痛みを抱えているなかで、他者への目を向けられない状況にあるというのも理解できます。電車で飲み会帰りとおぼわしきおじさん方をみるとなんとも言えない気持ちになります。彼らもマスクをして乗車していますし、きっと感染対策は講じていたのでしょうが、なんといっても声が大きいんですね。その人たちが感染するということは確率的に極微小ですが、その累積が感染経路としてあらわれているのかもしれないと考えてしまいます。僕自身の行動を顧みても多人数の会食を今年何回行ったことか。そしてまあ大声になりますよね。お酒が入っていなくとも。至近距離で会話することになります。誰かが感染していたら一発でアウトだったと思います。

東京の医師会長が提案していたこととして、会食は10日に一度というコントロールがありました。これはとても有効だと思います。10日以内の感染可能性を下げれば普通に会食や集まりを楽しむこともできるのではないでしょうか。静かなマスク会食というのは、もちろん感染リスク低減のためには好ましいとは思いますが、一方でその場に感染している人がいても社交を継続するという発想は正直ナシだと思っていました。マスクやアクリル板があることによって、同じテーブルで食事をしたり同じ空間で仕事や勉強をしても感染を防げる程度の感染力ならばこんな大惨事になっていないと思いますし、会食やら遊びの場において感染防止のことに頭が回らなくなるということは常ですから、感染しているかしていないかわからない状態でまともに楽しむということは本当はできないはずです。それでも僕が楽しんできたのは、自分の体調(or感染状態)は自分でわかっているという前提の思い込みによるものであって、実際のところ無症状の人も多いと報告されているコロナにかんしてはその限りではないのでしょう。体調はわかっても感染しているかは自分では判断できないということです。ですから、10日間の予備期間を設けることで、ある程度の根拠をもって感染していないと思い込め、そして実際感染リスクを抑えられるのは、持続的に社会活動を行っていく上で一つの検討すべき様式だと思います。現実にはみんなの予定を10日単位で合わせたりするのは難しかったり、いろいろな付き合いがある人はうまくいかない等あると思いますが。