陰として豪雨

理系浪人生の日記→理系東大生の日記

伍拾肆話 浪人生活最終日(仮)

いよいよ、いよいよいよ今日が東大の合格発表ですね。執筆現在まだ夜ですが、既に身体の震えがはじまってるような気がします。ただ寒いだけかも。

正直言って、今だけは悲しい歌聞きたくないよぉって感じです。二次試験から合格発表までの空虚な日々が終わるということに安堵する一方、そこまで迫ってきた避けられない事実との対面に怯えるような感覚もあります。

一年は長いとかあっという間だとかなんだとか言いますが、少なくとも受験勉強の期間としては長すぎました。高3まともに受験勉強していた人はより長く感じたのではないかと思います。とはいっても、長くて長くて苦痛だったかというとそうでもなく、どうせ大学に入ってもぐうたらすることになるのでしょうから、モラトリアムのオプション追加という感じですかね。この一年は。

合否にかかわらず、理科と英語は去年より伸びたような実感があります。これは今後どんな進路に進むにせよ大きな収穫になったかな。本当は数学も伸ばしたかったんですが、数学に苦手意識がないのであんまり力を注げなかった一年でした。結果数学が大惨事。

以下、今年の雑記から抜粋。

2020年5月:現役で落ちても浪人しろやって思ってたけど、それは現役時に勉強していないからそう思うのであって、しっかり勉強していた人からすればもう一年続けるのはなかなか厳しいことなんだろうなと思った。

2020年6月:精神がおかしいのではなく、極めて正常であるがゆえに延々と同じようなことを考えてしまうのだと思う。過去の自分との連続性はどこでリセットされるのか。

2020年7月:(安楽死事件を念頭に)罪を問われるのは患者本人なのではないか?人間以外の動物の自殺は一般には観測されないようなので、あるいは「人間らしい」選択と言い得るのか。

2020年10月:人間の心とは秩序の残像なのではないか。秩序は身体全体を通じて記憶保存され、外部刺激や自己フィードバックに対し「心」が言語的反応をする。人間に近い構造をもつ物体を人間として育てれば人間をつくれるのではないか。主体「私」というのは、身体の反応に言語の応答があることで、論理の要請としてあるにすぎないのでは。

2020年11月:毎日のように教室で駄弁るような時間が去年はあったけど、今はそういう時間もない。受験自体のプレッシャーは感じていないけど、日常のあり得ないほどの単調性日常性に耐えがたい面がある。

2020年12月:英語を使えるかどうか。正味やってみないと分からん。理系でやっていけるかどうか。そもそも何をやっているのか。

2021年1月:朝起きれない。数学積分できなくてつらい。数Ⅲは簡単とか言った人だれ?

2021年2月:1年間の集大成ではある。普通にやれば受かる。

 

途中完全に受験勉強どっかいって迷走してました。まあこれはコロナの影響もあるかも。毎日のようにマジの地獄のような医療現場の報道みて、商売あがったりだという人たちの報道見て、しんどい空気を吸ってしんどい空気を吐いてたのかもしれません。浪人生という立場にたってみれば、世の中はどこもかしこも浮かれすぎだったし、去年の秋からの一連の感染増大期の人の動き、政府の動きはストレスでしかありませんでした。一方で、甲子園やらインターハイやらの中止や、もっと身近なところでは中高の行事の中止などをみると、全くと言っていいほどダメージのない浪人生という身分が申し訳ないような思いもありました。医療従事者だって知り合いにいたし、海外留学した友人とかが大変なのも見てたし、それでも自分の生活はまあまあ普通に回っていて、世の中には自粛疲れとかほざくふざけた奴がいて、しかもみのもんた王貞治も自分がくそじじいなのに銀座でステーキ食ってて、なんかもう訳わかりませんでした。でもおそらく、こういう「社会」とは折り合いつける必要もないのかなと思います。なんかうまく言語化できませんが、自分の手に届く範囲を見落とさないということが大切なのかもしれないとか思いました。いや普通に受験関係ありませんねこれ。